愛宕念仏寺の情報ページ

愛宕念仏寺の始まり

愛宕念仏寺の始まり

奈良時代の末に、
聖武天皇の娘君である称徳天皇が建てたのが始まりとなるお寺です。
京都の四条から東山方面を、愛宕(おたぎ)と呼んでいて、
その地に建てられたので、愛宕寺と名付けられました。

 

当時は、真言宗東寺派に属していたようですが、
平安時代の始めに、鴨川の洪水で廃寺になってしまいます。
その復興を醍醐天皇より命じられたのが、天台宗の僧であった“千観”です。

 

この方はいつも念仏を唱えていて、
人々から「念仏聖人」と呼ばれていたのだそうです。
その為、復興したお寺は“愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)”
と呼ばれるようになり、天台宗に属するようになったという訳です。

 

この方の名前の由来が紹介されています。
子供が欲しくて仕方がなかったご両親は、毎日、清水寺にお参りしていました。
そんなある時、母親が、観音様から蓮華の花を頂く夢を見たのです。
すると、見事にご懐妊に至ります。
大変喜んだご両親は、その千手観音様にあやかって、“千”と“観”の二文字を
頂戴することとして“千観丸”と名付けたのだそうです。

 

千観丸は、早くから比叡山の僧侶になり、苦行を重ねて
御所に出入りできる内供職となっています。

 

真面目に務めを果たしている中、空也上人と出会います。
「自分はこれからどのように生きていくべきか?」
という千観の問いかけに対して、空也上人は、
「何事も身を捨ててこそ!」という言葉を残します。

 

そのお言葉を胸に、
干ばつが起きれば、ご祈祷により雨を降らせたことを始めとして、
川では船頭となり、山崩れがあったというと馬方をやって、
旅人の安全を図る等の奉仕活動に身を尽くしたそうです。
大衆の苦しむ姿を見ては、身を捨ててその救済にあたったのです。

 

その生涯では、各地に多くのお寺や神社の建立に努めてもいます。

 

 

愛宕念仏寺の本堂は、鎌倉中期の再建によるもので、
大正11年に嵯峨の地へ移築されています。
その後、興廃を繰り返してきたものを、1955年に天台宗本山より住職を命じられた
西村公朝が、復興を適えたということです。

 

この寺の本尊は“厄除千手観音”で、
平安時代より厄除けの寺として厚く信仰されてきました。
そこに、千観の名残が感じられます。

 

 

 


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